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この春、シーエイティプロデュースがお送りする壮大なる歴史浪漫の旅


松尾芭蕉生誕三六〇年、「おくの細道」 刊行三〇〇周年記念


おくの細道 一期一会の旅言葉




松尾芭蕉が旅した六百里におよぶみちのりを、梶本晃司さんの案内と熊澤南水さんの語りで追体験する歴史探訪の旅、
「おくの細道 一期一会の旅言葉」 が来たる3月27日の本番に向け、いよいよ本格的に始動の運びとなりました。
今回はその第一夜と称して芭蕉が旅立つまでの経緯と当時の江戸の街の様子、そして深川から草加の宿までの道程を
観客と一緒に訪ね歩いてまいります。

稽古に先立ち、去る2月25日、江東区芭蕉記念館にて最初の顔合わせが行なわれました。
まず最初に見えられたのが、亡き師匠である松尾芭蕉をその想い出の中で語るわたらいそのじょ度会園女を演ずる
熊澤南水
さん。
清楚な和服姿と穏やかな口調の中にもなにか凛としたものを感じさせるその物腰から園女もまさにこのような女性で
あったのではないかという印象を受けました。
続いてのご登場は梶本晃司先生(みなさんそう呼んでいる)。脚本、演出であると同時に観客を旅へといざなう案内役
そしてその道すがら当時の町並み、人々の暮らし振りなどをとても楽しく、また解かり易く解説して下さいます。
先生とは言ってもその独特の語り口は親しみやすくまるで近所の物知りおじさん(失礼)といった風情。
しかしながらその話を聴いていると不思議と本当に情景が浮かんで来てまるで手品(手妻?)でも見ている様です。

さて本編については後日レポートさせていただくとして、主演である熊澤南水さんが寄稿されているコラムをご紹介
させていただきます。南水さんは昨年11月にも芭蕉の生まれ故郷である三重県上野市 芭蕉ホールにて 「おくの細道」
を題材に公演されています。

おくの細道チラシ


 

以下 月刊 「浅草」 『心と表現』146 より抜粋

  「おくのほそ道」

 俳聖、松尾芭蕉がこの世に生を受けて、今年は三六〇年になるという。
 生地は伊賀の国、安部郡小田郷上野赤坂といい、今の三重県上野市赤坂町、藤堂家三十二万三千石の支城が置かれた土地である。
 幼名を金作といい、十代の終わり頃、侍大将藤堂新七郎家二代よしまさ良精の嫡子、かずえよしただ主計良忠に出仕している。
 藩祖高虎以来、文雅を重んじる藤堂家の家風の中で、せんぎん蝉吟と号して俳諧を嗜む二歳年長の良忠の俳席に召されることで、
 次第に俳諧への興味を深めていった。

  春やこし 年や行きけん こつごもり小晦日  宗房

 松尾中右衛門宗房と名乗っていた芭蕉の、これが最初の句と言われている。
 しかし、二年後に良忠の急逝という、予期せぬ出来事に遭遇、一大転機に見舞われることとなる。
 そして、二十九歳の春、俳諧師として身を立てる決心をして、故郷伊賀上野を後に江戸へ出てまいります。
 − 中略 −
 号を桃青と改め、江戸俳壇の中心地であった日本橋に居を定め、その地位を確立していったのだが、三十七歳の冬、突如市中を去って、
 隅田川の対岸、新開地は深 川の草庵に移り、これまでの生活と決別、「凡雅のこつじき乞食」 としての生活を始めるのである。
 傍目には、気紛れともとれる生活の変遷は、実は杜甫、蘇東坡の芸術性に学び得たものへの実践と見る方が正しいようだ。
 門人のりか李下が草庵の庭に芭蕉一株を植えてくれたのを機に、「芭蕉庵」 と称し、又、その風雨に破れやすく、傷つきやすい性質に、
 己を重ねて中国の詩人たちの心に近づこうとしていたのかも知れない。
 「野ざらし紀行」 「鹿島詣」 「笈の小文」 「更科紀行」 と、後に書物としてまとめられた旅を重ねながら、元禄二年、四十六歳の時に
 「おくの細道」 への旅へと出立するのである。

  " 住めるかたは人に譲り "、" 菰かぶるべき心がけにて御座候 "

 と、伝えていることから察するに、それ想到の覚悟の旅と考えられる。

  月日は百代の過客にして 行きかふ年も また旅人なり。

 日本人なら、誰でも一度は目にした事があるであろう、「おくの細道」 書き出しの名文である。
 − 中略 −

  弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として……

 本文にもあるように、芭蕉は元禄二年三月二十七日、深川の庵を人に譲って、奥羽長途の行脚に旅立ったのである。
 − 以下後略 −

 

 

芭蕉の門弟であった園女を演ずる南水さん。その語り口には魂が打ち震え思わず息を呑んでしまう程の秘めた迫力が感じられます。

舞台は旅立ちの地、深川は江戸資料館小劇場、時まさに3月27日、ここから長大なる探訪の旅が今また始まろうとしているのです。