CAT採用ランド

cAt-Studio

デザイナーインタビュー
高見和義:40年目(以下、高見
吉川ひろ子:39年目(以下、吉川

インタビュアー
萱嶋亜希子:18年目(以下、萱嶋
影山雄一:17年目(以下、影山

(2021年8月現在)

※ウイルス感染症への対策を徹底してインタビューを行っております。

どうして“照明”を

高見 元々野球少年で小中高とずっと野球をやっていて。中学校の時の友達のなかにバンドをやってて、ピンクフロイドとかイエスとか今若い子が聞いてもわからないかもだけど、そういう音楽が好きな友人がいたのね。僕もそういう音楽が好きで、野球もやっていたんですが、そっちに世界が広がって・・・将来を考えたときに、その時は漠然としていて照明なのか舞台なのか音楽なのかはっきりしていないんですけどその世界に参加できればなと思うようになって。そこから専門学校に行って、その1年から2年に上がるときに音響コースと照明コースのようなコース選択があり、
萱嶋 裏方の学科ということですか?
高見 そうそう、僕は工学院だから。そこの中で、最初は音響という志向があったけど、それよりも視覚に訴えかけるほうがわかりやすいし、なんか意図が伝わるんじゃないかとその時すでに思ったかわからないけど照明がいいなと感じて、照明コースを選択していったんですね。でも僕は本当にダメな人だったので、
萱嶋 想像つかないです(笑)
高見 いや、本当にダメな人で、なかなか出席率も悪く、ダメな人だったと思います。
吉川 麻雀ばっかりやってたんだよね?
高見 あの~ここでいっちゃうんですか(笑)
一同 (笑)
萱嶋 その視覚に訴えるほうがいいとなった時に、ライブやコンサートを観たわけではなく、単純に照明のほうがいいなと思ったんですか?
高見 あのね~元々コンサートに足を運ぶような人間じゃなかったんですよね。
萱嶋 意外ですね、本当に。ではお芝居を見てたりしたんですか?
高見 コンサートもお芝居も全然。今自分がこういう内容の仕事をしていることが不思議なんだけど、お芝居を何一つかじってない。コンサートを観に行ったことがなくて。観に行ったのって、夜行列車で、名古屋のレインボーホールにピンクフロイド見に行ったことあるんだけど、まともに観に行ったのってそれがはじめてぐらいかもしれない。
萱嶋 そのコース選択でやっぱり音響って思っていたら高見さんここにいないという・・・。
高見 僕は結構出会いや運が人生に非常に関わっているなと思っているたちなので、そういったいろんなことがなければ、今ここにいないだろうし、この仕事をしていないし、やめてる可能性もあるし・・・。
萱嶋 照明に対して、確実にこれ!という感じじゃないというのがとても面白いです。
高見 そうね、ただなんとなく、はっきりいってこれを見たからこれとか、こう思ったから照明とか実はないんだよね~。その時に選択したのが照明で、今思えばね。60にもうすぐなるけどまだこうやってやっていけているのがありがたいというか。
萱嶋 すごいですね、実力で、ここまでという。
高見 運です、運。
萱嶋 運といいますが、持っていない人はもっていないので!では、吉川さんお願いします。
吉川 私のおばあちゃんやお父さんが音楽好きで、それに影響受けてというか、中学くらいからコンサートに行っていて。初めて行ったコンサートがチューリップのコンサートで神奈川県立音楽堂だったかな?
高見 坂の上?
吉川 そう、坂の上。あそこでチューリップのコンサートをお父さんと観に行って。高校入ってから友達が音楽好きな子がいて、それこそ武道館とかしょっちゅう行ってた。
高見 私は、全然行ってない・・・。
吉川 なんかね、TOTOとかボストンとか外タレばっか。で、いい席取れないから、2階席とか3階席とかばっかりなのね。そうするとスーパートゥルーパーっていうピンが8本くらいがぁ~と並んでて、それをみんなやってるのを見て、めっちゃかっこいいなぁ!!って思って、何じゃありゃって思ってて。なんでもいいからコンサートの仕事したいなぁと思って。PAはね、女の子入れないよ、できないよって言われて、じゃぁ照明かなと。
萱嶋 吉川さんは、学校とか行かれたわけではないんですか?
吉川 専門学校行った。
萱嶋 そこでは照明コースとかあったんですか?それとも他の?
吉川 照明コースとってないのよ。テレビのカメラのやつとか、あと大学でいうところのゼミで、人形劇というのを取っていて。
萱嶋 動かしていたんですか?
吉川 こうやって、動かしていたのよ。
影山 やるほう(笑)
吉川 まず道具も全部自分たちで作って、脚本だけはあるんだけど、配役決めて作曲もして、私作曲してたんだけど、それで幼稚園とかに行ってみせるという。
萱嶋 そこで照明係をやったとかなんですか?
吉川 そこでも照明やってなくて(笑)
一同 (笑)
吉川 照明係もいたけどね。
萱嶋 就職して、やっと照明を始めたんですか?
吉川 そう。そこの学校の先輩に誘われて、それこそ収録番組のサクラみたいのいるじゃん、あーいうバイトしてて。その照明会社に勤めている先輩がアルバイトで『SS(サイドスポット)の色替えしに来いよ~』みたいなのがあって。
高見 順当な道ですね。
一同 (笑)
萱嶋 今は女性がとても多い照明業界ですが、その頃はどうだったんですか?女性はそんなに多くなかったんですか?
吉川 多くなかったね。コンサートのほうにはあまりいない感じで、演劇のほうにはいたと思うけど。大庭照明の女性プランナーさんに会ったときに『あなた照明をやるならプランナーを目指しなさい。うちにきなさい。』って言ってもらったけど、その時は、??という感じでした(笑)。
一同 (笑)
萱嶋 行かなかったんですか?
吉川 うん。その頃お芝居とか興味なかったから。
萱嶋 そうなんですね、その頃はお二人とも全然なんですね。
吉川 学校の授業で、劇団四季の「コーラスライン」を観たっきりで、ミュージカルとか観たこともなかったし。
高見 僕も日生劇場で「オンディーヌ」を観たくらいだな。
萱嶋 これをリクルートの人が見たら可能性を感じて夢がある内容ですね。

就活エピソード

高見 ダメな人生が続いてて、第一志望には落ちちゃって、それでどうしたもんかなって思ってて、普通もっと早く決まると思うんだけど卒業ギリギリまで全然決まってなくて。そうしてたら専門学校の同級生にうちの会社に同期で入った女の子が居て。彼女と専門学校で仲良かったんだけど「高見ちゃんなんかC.A.T.ってとこが空いてるから来てみれば?」って。その頃C.A.T.は成城の一軒家が会社で、ちっちゃいプレハブの倉庫みたいなのがあって、面接を受けて「まあ明日から来れば?」って感じですぐ採用みたいになって入ることになった。ホントに、流れに身を任せるがまま、ただ「あぁそうじゃあ行ってみる」で入って今に至るみたいな。
萱嶋 登り詰めましたね。
一同 (笑)
高見 登り詰めてはないけど(笑)これはリクルート的には、こんなダメな人でも頑張れば何とかなるってことでいいのか。
萱嶋 そういう風に編集します!(笑)
高見 まあいろんな運がある、運命がある巡り合わせがある。そういうことだから一つ一つ大事にしなきゃいけないなとは。ちょうどその時が、C.A.T.が出来て新入社員を初めて10人採用した年で、
萱嶋 すごいですね。
影山 本当に運というか出会いというか。
高見 だから初めての年に10人も採用してくれたから私が入れたっていう話もあると思うけど。1年経ったら誰か辞め、2年経ったら辞め、辞め、、、あれいつの間にか自分しかいないみたいなのがもう4,5年でそういう状況になっていく感じだったね。
影山 なるほどなるほど。では次に吉川さんにお伺いしたいんですけども、C.A.T.を選んだ理由、知ったきっかけなどを教えて頂ければ。
吉川 私あのやっぱ学校の出席日数が足りなくて、
一同 (笑)
萱嶋 二人して(笑)
吉川 学校には行ってたのね。人形劇ゼミのプレハブ小屋があって。学校行くけどそのプレハブ小屋にたむろってて。あとバンドもやってて出席日数足りなかったんだけど、就職できれば卒業できるってなってて。
萱嶋 へー!
吉川 それでそのバイトとか誘ってくれてた先輩がいる照明会社に入れてもらったの。そこは会社の社長が日本舞踊の仕事をメインでやってて、その他の先輩達はC.A.T.やほかの会社へ出向したりしていて。それにくっついて行ってたからC.A.T.は知ってたんだけど。若い人はみんな色んなところで色んな仕事をしているのに私なんかもう日本舞踊でのり巻き食べながらなんか・・・。
一同 (笑)
吉川 1日中発表会とか。
高見 あれだよ、8時間とか9時間とかね。
吉川 そう
萱嶋 長いですよね。
吉川 そうそうそう。食べながらピンとかやってるような。それとあとはぬいぐるみの人形劇団に、なんにも知らないのに1人でやって来いって言われて。劇団員とツアー回ってなんにも知らないのに仕込んでパッチしてオペレートやって。それで劇団の人がピンやってっていう、そういうのとか。いきなりね、オートって何ですか?みたいな。(*オート:オートトランスの略で本棚くらい大きな調光器にフェーダーが付いたようなもの)
影山 あぁー。
吉川 そういう状態で放り出されたりとかして。それで2年間居たんだけど、先輩たちがみんな辞めちゃって。おじさんと私だけになっちゃって(笑)
一同 (笑)
吉川 それで私も辞めちゃったの(笑)
それで辞めて半年か1年くらいは友達が人形劇団に入ってて、そこの手伝いで三匹のぶたの真ん中のぶたとかやって。
萱嶋 えぇ、すごい!(笑)
吉川 アコーディオン弾いて最初に。
影山 手伝いってそっち側(出演者側)なんですか(笑)
萱嶋 照明じゃないんですね。
吉川 アコーディオン弾いて、最初に歌のお姉さんみたいなのやって。それでそのあと真ん中のぶたとかやって。なんてやってたら、「なんかひろこちゃんぶらぶらしてんだって?うち来なさいよ」ってCATさんから声をかけてもらって、それで成城の事務所に会いに行ったら「駅前に証明写真あるから撮ってきて履歴書書いて」って。それでもう、すぐ「採用!」みたいな。
一同 へぇー
吉川 入ってみたら、同じくらいの年の人がいっぱい居て、あらなんだか楽しいわここ!(笑)
高見 その前おじさんとだったからね。
吉川 そう(笑)
萱嶋 高見さんと代的にはどうなるんですか?
吉川 えーっと、私が1年?2年あと?
高見 2年あと。
吉川 2年あと!
(*後々調べたところ吉川さんの方が1年後の入社でした)

何年目からデザインを

高見 デザインていうのをどこからデザインかって定義としてどう考えるかってまずあるんだけど。C.A.T.自体でいうと僕が入社して、24、25才まではコンサートだけだったの。イベント、コンサート、あと機材レンタル。僕もトラック運転して「C.A.T.でーす」って言って搬入したりとか、機材借りに行ったりとかそういうのやってたから。あとは学生さん相手の学園祭イベントがものすごく忙しくて。ただ、コンサートは林光正さん(HAYASHI OFFICE)のお仕事をC.A.T.が手伝ってたのでそこで仕事をさせて頂くことがあったりしたから、少しずつコンサートの仕事かじってって、その人間関係の中でコンサートのデザインをするのは、結構早い時からやってた気がするんだけど。なぜかその同時期に原田保さん(FAT OFFICE)と出会ってしまい。運命的な出会いをしてしまったから。
一同 (笑)
高見 そこからは、原田さんの仕事を手伝うことも多くなり、そうしているうちになんか分かんないけどお芝居とかそういう系統の仕事も増えてきたという。それまで何回か、何かしらのデザインはやってたけど。30才くらいの時にシアターアプルで篠井英介さんと深沢敦さんの二人が企画するショーみたいなのがあったのね。出演者は前田清美さんとか舘形比呂一さんとか踊れる人たちと芝居が出来る人面白い人たちが集まったような。それが一番最初というか。そのあともちょこちょこやったりしたけど、一番の起点はやっぱり「スライスオブサタデーナイト」っていう川平慈英さんが主役で、映画監督の大林(宣彦)さんが演出だったシアターアプルの公演が第一起点になったんじゃないかなぁ。
萱嶋 やっぱりこう順々にチーフとかを経て(デザインを)やっていくようになった感じですか?
高見 ステージ(というポジション)っていう感覚はあんまりなくて。まあ渋谷公会堂で吉田拓郎さんのコンサートのステージってそういうのはあるんだけど。ポジション的にはピンも当然やったことあるよ、大貫妙子さんのコンサートを原田さんがデザインを行っていてチーフで誰かいてピンで。昔の西武劇場。今のパルコ劇場、昔西武劇場って言ったの。そこで一週間、二週間くらいロングランでやったりとか。いつの間にか原田さんの仕事やっていくと、沢田研二さんのコンサートで私のポジションはセカンドで、そこで組手(*明かりの記憶が出来ない卓でシーンごとに毎回何十本あるフェーダーを調整する)っていう。手組みでやるっていうことをやりつつ、原田さんの家に泊まり込んで、パソコンがないから紙にデータを書いて段を決めて。深夜までやって、朝、原田さんの奥さんに作って頂いたごはんを食べて、原田さんの車で市民会館に行って、もうぶっつけ本番やるとか。だから、卓を操作するチーフの立場にすぐなっちゃって、27才ぐらいでほぼチーフみたいになっちゃった。そこから、ピンをやるっていう機会がすごく少ないと思う。芝居のピンって本多劇場でランプピンのフォローをきっと1回しかしてないと思う。
萱嶋 そうなんですね。
高見 コンサートツアーも、レベッカとか、チューリップとか、松任谷由実さんとか。そんな感じなんですよ。そんな感じだったよね。
吉川 うん。高見さんの同期が5人ぐらい残ってたんだけど、みんな今の支援課じゃないけど、機材課になったりとか色々振り分けられてるなかで、高見さんは一番なんて言うの、仕事に恵まれてるっていうか。外に出されたけどね、次から次へとツアーとかで。皆「なんで高見ちゃんばっかりツアーとか行ってさあ」みたいな感じはあったよ。
影山 (笑)
萱嶋 羨ましい感じだったんですね。
吉川 うん、うん。
高見 仕事は確かに、吉川さんに今そういう風に言って頂いたけど、運に恵まれてるんじゃないんですかね。
萱嶋 大分それたりしましたけど、吉川さんは何年目ぐらいからデザインするお仕事始めましたか?
吉川 そのいわゆる、客席のプラン卓で打ち手が調光室にいて、インカムで明かりを作ったのはやっぱ「おすましでSHOW」(小堺一機さん演出主演)が最初だったと思う。それ以前はC.A.T.はライブハウスの管理とか結構やってて。
萱嶋 その頃からもうやってるんですね。
吉川 知らないと思うけど芝浦にインクスティックっていうライブハウスがあって、そことか。あとは、ON AIRとかそういう所で、今もキネマ倶楽部とかでやってるように、オペレーターが来ない公演は自分で仕込み図書いて、本番やったりとかっていうのが色々重なって。そこから、じゃあ別の会場でやるときもっていう話が来たりとかもあったりして。そういう意味ではなんか腕試しじゃないけど、やりたいことできるのは割と早い段階で回ってきて。その後C.A.T.はコンサートっぽい会社だったんだけど、その中に一人地味に芝居の仕事している方がいて、私人形劇やったりとかしてたじゃん。だから、ちょっと芝居わかってるからって、なんか小学校周りの芝居にピンとかでちょろちょろはついたりして。それで、「おすましでSHOW」のプランの仕事がいきなり来て。「え、なんで私?」ってなったら、小堺さんがなんか女の子、若い女の子がいいって言ったからみたいな感じで、なぜか声がかかって。そっから20年以上やってる。
萱嶋 二人とも話を聞けば聞くほど強運って感じですね。
吉川 あとは、結構原田さんから引き継いだものがあるかもしれない。大貫妙子さんを何年もずっと原田さんがやってて、その後を私が受け継いで今も大貫さんは続けさせてもらっています。あと竜童組ってロックバンド。それも原田さんが最初プランで、私全く関わってなかったんだけど、途中からピンで入るようになって。そのうち卓やるようになって。本コンサートは原田さん明かり作ってたけど、野外イベントとかそういうのは原田さんこないから自分で考えてやったりとか。
萱嶋 なんか順当にこう、ピンやって、チーフをやって、デザインをやって、上に上がって行くって感じですね。
吉川 敵も多いけど、ハマると割と続けられるっていうか。ダメなのはもう1回でクビになるけど(笑)
萱嶋 (笑)

デザインする上で大切にしていること

高見 今行っている仕事ってミュージカルが多いと思うんですが、自分自身の明かりが、照明をどっちかっていうと変えたがる、変化をつけたがる方で。それをもうちょっと若いときは、変化をつけすぎちゃって、ちょっと不要なことをやってたと思うんだけど、今はやっぱりその物語に沿ったような明かりを考える、時間設定を考え、その時間に適した明かりを作り出すのが一番いいのかなと思ってて。だから、演出家と話をするときには、時間のことを結構話をするんだけど、演出家って意外と時間のこと考えてなかったりするので、このくらいだなとか考えて作ったりするんだけど。意外とそういう設定ってなんか、光がこっちから差し込んで、朝だからこっちで、夜だからこうだとかっていう設定を自分で作っていかないと難しいんで、その辺のことをうまく、ミュージカルと言ってもそれにはめるようにやっぱり考えなきゃいけないなと、実は思ってて。思いつつ、ただ照明がここまで色んな面で発展したこの時代に、大人しいままじゃつまらないので、自分が感じたままのところをいかに、どう表現するか。それが過剰な照明だと言われたとしても、自分が感じたところを一度ぶつけたいならぶつける。マイナスするならマイナスするっていうのを考えながら状況と合わせて作りつつ、自分のやりたいデザインを表現して、物語をまとめて、最後に向かって作っていくっていうのが照明デザインじゃないかなと思って行っています。
萱嶋 勉強になります。
影山 勉強になります。吉川さんにも、お伺いしたいんですけども。大切にしていること、大切だと思うこと。どうでしょう。
吉川 まずその、見たいものがちゃんと見える。その時に見えるべきものがちゃんと見えて、あとは、ストーリーなり、コンセプトに沿ってることが、大事かな。それが軸にあれば、あとはなんでもやっちゃえみたいなところはあるかな。私ってあの、結構我を出してる方だと思うんだけど。まあ演出家の意向とか話も一応聞くには聞くけど、「えー、それヤダ」とかっていうことを言っちゃったりして、なんかカッコよくないと嫌で、基本はとりあえずキープしつつ、カッコよくて、しかもストーリーになんか幅を持たせるじゃないけど、ほらやっぱり照明があるから話が良くなったじゃん!みたいに言わせたいみたいな(笑)
萱嶋 なるほど。デザインをちょっとこうしたいなっていうのから図面に起こしていく時、図面描く時って、結構自分の中で大事にしていることとかあったりしますか?ムービングとかも増えてきてるけど、ムービングに頼りすぎてムービングばっかり仕込むわけにもいかなかったり、一般照明も増やしてとか考えていく中で、図面を考えている時ってどういうことに重きを置いて描いていらっしゃるのかなって。高見さんどうですか?
吉川 凄いアレだよね、一回図面を決めてからいっぱい触るよね。
全員 (笑)
高見 だいたい触る時は、仕込みが多すぎますって言われた時だよ。まぁ段階があってなるべく仕込み5日前には仕込み図があって、キュー台本があってっていうことをまずは目指すから、それに向けていろんなことを考えてやったりしている。頭の中でだいたいこういう風に仕込んで、ムービングの配置はこうしてって決めていっているんだけど、その仕込み図を描き出す時にムービングの配置を決めてから図面に落としていくと、やっぱりいろんなことが収集付かなくなってきて、だけどこれを仕込まなきゃいけない、ということを考えつつ、それを調整していくんだけど。こんなこと考えちゃいけないんだけど、時間と予算は考えるね、はっきり言うと。あとは公演内容と演出家。だから、ルールみたいなことがありそうで、しっかりしたルールはもしかしたらないかもしれない。だからその都度その都度で考えてやっているかな。それが自分のルールかもしれないけど。
萱嶋 ありがとうございます。吉川さんは何かありますか?図面を描くとき。
吉川 図面描くとき、お芝居の場合は、セットに左右されるかな。まずセット決まっちゃうんで。それに対して一応全面埋まる、かつ何があっても大丈夫な感じに考えるかな。ダンスの発表会みたいな、なんにもセットがないやつは、多分どれも同じ仕込みでできると思う(笑)ムービングが3列くらいあって、ブッチが4列くらいあって。それで全てできちゃうみたいなところはある。コンサートもそれに対してバンドの並びとか、そういうので好きなように並べる感じだけど。やっぱり芝居とか最近多いから、まずセットありきかな。

デザインについての勉強

高見 やっぱり勉強しない人なので。
萱嶋 そうですか(笑)
高見 アウトローだよね。私ね。
吉川 今、超王道だけどね。(笑) 王道中の王道だもん。
高見 ブロードウェイとか、そういう公演を見て、それを必死に追及するとか、まぁ「RENT」の仕事を頂いた時に、その時は「RENT」を自分でニューヨークまで見に行って、こういう仕込みだ、こうだこうだとかって。で実際自分がやる時にあれはこうだったって思いつつ、ああいう仕込みがどうだとか、色んな公演をそういう風に考えて、追及することはきっと凄くしているけど。デザインの何かの参考になるかっていうと、勉強は、原田さんは昔よく絵を見に行った方がいいとか、そういう話をよくされていました。本を読むにしてもいいだろうという話もしていましたが、今はそれ以上にみんな仕事に追われて次から次へと行っているから、その次から次への一つずつが積み重なって勉強になっているような。他にもちょっと前は海外の公演とか原田さんのデザインの公演とか見に行ったりして、以前はそういうことをして勉強していたけれども。今は1つ1つの仕事が常に勉強になっているのかなと思いますね。だから1つ1つがチャレンジであったり、あぁあれはダメだったか、あれはこうでこうでとか。昔ってムービングがなかったからかもしれないけど、仕込み替えが凄くあったんだよね。その仕込み替え吊り替えをしなくて済むような、まぁムービングが増えて臨機応変に対応できるようになってきたからなのは間違いないと思うけど、仕込み替えをしなくて済むようになってきているのはやっぱり、そういう風に自分が失敗してきたこととか、経験値があるから出来ているんだろうなと思う。
萱嶋 吉川さんお願いします。
吉川 そうね、今はなるべく高見さんの仕事とか、ゲネプロ見せてもらったり最近結構してるよね。まぁ、原田さんの公演とかもなるべく。本当は社外の人の公演とかももっと見に行かないといけないんだろうけど、全然知らない人の明かりを見るっていうのはきっと勉強になるし。それこそ絵を見に行ったりはしないんだけど(笑) 映画とか読書。ある先輩に本をいっぱい読んで、台本を読む力を付けなさいみたいなことは昔言われた。あとは高見さんも言うように今はもう1本1本やるたびに勉強になっているというか。それぞれの演出家によってまた個性が違うし、セットも色々難しいやつとか、超考えてそういうのも勉強になるし、松井るみさん(*舞台美術家)と2回続けてご一緒したときは、勉強になります!って何回言ったか(笑) それこそ若い頃は、林さんの仕事を見たり、付いたりとかで、あのシーンはもう超心に残ってるってなったら、それパクって自分のでやったりとか、パクるのは結構お得意だった。
萱嶋 私はお二人の色々パクってますね(笑)

忘れられない瞬間

高見 自分でオペレートやった時、ピンフォローは凄い気持ちよかったね。
松任谷由実さんのコンサートでピンフォローやった時に暗転で松任谷さんカットイン。暗転抜きでバーン!で、拍手がワー!と起きる。あぁいう時のなんかもう身震いするような、やっぱりピンフォローって本当にやってる人にたまに言うけど、自分の心がピンに乗り移って光に表現されるような仕事だからピンフォローやるのは、すごく楽しい仕事だし、気持ちを大事にしてやったほうがいいと言っているような気がするけど。デザインってなると、やっぱり自分が大事に思ってきたことを光でお客さんに伝えることができて、それでお客さまから拍手をもらうときが本当に胸が熱くなる感じが非常にあるので。拍手を頂けるのって非常にありがたいなと。それは当然照明だけじゃないだろうけど、そのすべてに対しての拍手を頂けるのが、いちスタッフ・照明家としては非常にありがたい。
あと、ずっと「RENT」という仕事が自分の中の起点になっているので、エンジェル(*RENTの主要キャストでコリンズの恋人)が死んじゃったあとにコリンズが歌う曲が、最後ピンで顔抜きみたいな感じで、それが終わると拍手がガッて起きるような場面があるんだけど。それを一番最初に日本のカンパニーで「RENT」やったときの公演は毎回観る度ほぼほぼ泣いてた感じ。それくらい自分の中の思い入れと作品が合致して、なんか「ああ~」っていうなんか、あるじゃん?そういう想いに自分が高揚する気持ちが・・・。そういうのと出会える仕事だよね。だから普通では感じられないことが感じられる仕事じゃないかな。その経験を何度かしているから、辞められないというか、続けたくなるよね。
影山 ピンフォローって楽しいんですかね?そんなに僕経験がないので・・・。
萱嶋 楽しい、楽しい。
高見 どっちかっていうとすぐデザインで、ほぼほぼピンもやってないし卓もやってない。卓って昔でいう組手というか、そういうことをやらずにすぐデザインになっちゃってるから。でもピン楽しいよ、と思う。そう思う。影山さんはすぐデザインやってるからあれだけど、すぐデザインできない子たちにとっては、やっぱりピンフォローっていうのは、お客さんに自分の気持ちを伝える第一弾としては、非常に伝えやすいものだと思うよ。
萱嶋 そうですね。明かりにあったピン色を選んで出して、ぱって音に合わせて出して、全部私も一部になれたと思ったときとか、めっちゃ嬉しい。
高見 ピンちょっとやってみれば?
萱嶋 若い子にしごいてもらって・・・(笑)
影山 ・・・。がんばります!(笑) じゃあ吉川さんのほうも。
吉川 今あったけど、私、ピン時代超長いのね。ピン時代超長くて、ピン大好きで、ピン超上手だったみたいな。
一同 (笑)
高見 おしんさん(*C.A.T.初期メンバー)と吉川さんは、超うまいと思う。
吉川 私ね、ずーっと今「おすましでSHOW」とかやってる中で、はじめてでっかい仕事やったのが、少年隊の「ウエストサイドストーリー」だったのね、青山劇場で。その時に、セットが重すぎて全く動かなくて転換できなくて、プロット(明かりづくり)の時間が全くなかったのよ。4階建てのビルが2個あって、それがいろいろ動くはずだったんだけど重すぎて動かなくて。ずーっとその道具の転換をどうするかってなってて。まったく明かりつくらない状態で舞台稽古とかゲネプロとかになっちゃって。ゲネプロ終わったあとに全員集まってダメ出しするときに、もう悔しくて悔しくてぼろ泣きしたの。でも、まあそこから本番には間に合って無事にできたのだけど。そのあと、今度は嵐の「ウエストサイドストーリー」があって。それを2本やったあとに「モダン・ミリー」っていうのが新国立劇場であったんだけど、ウエストサイドストーリーの演出だったジョーイ・マクニーリーから指名でプランの依頼が来たときは超嬉しかった。それたぶん今までで一番嬉しかったんじゃないかな。
影山 認められたっていうかね。
吉川 そうそう。あとはね、普段のいろいろな公演。私は、初日の拍手もらったときっていうのが「は~(感嘆)」って嬉しいんだけど、そのあと、「じゃあちょっと一杯行きますか」って行くじゃん?今は行けないけど。
萱嶋 そうですね、今行けないけど、
吉川 行きますかって言ってね、みんなで砂肝のおいしいお店とかに行って飲んでるときに、皆が楽しそうにわいわいやっているのをみるとすごい幸せ。
影山 あ~。飲み行けなくなっちゃいましたからね。
萱嶋 たしかに、本番終わってみんなで話すのが楽しかったですよね。
吉川 うん、ね~。

失敗談

吉川 高見さんの破壊力あるよね
高見 いや、これはもう自分としても大きなことだけど、その昔に、C.A.T.の車を運転してアコースティックっていう音響さんの機材を借りに行ったときに、アコースティックの前が料亭で、料亭のチェーンを入れる壺があったんだけど、バックしたらその壺が倒れて落ちちゃって。そしたら仲居さんが出てきて「この壺、店主がすごく大事にしてます」とか言われて
一同 (笑)
高見 「2000万くらいするんじゃないですか?」とか言われて。「ええっ!?俺もうこのまま2000万分C.A.T.で一生タダ働きだ~」って。で、社長がどこにいるかわからないから会社に連絡したらヤクルトホールの1階でパーティーに出てるって聞いて、そこにすぐ行って「すみません!!」とか言って謝ったような失敗談もある。高見壺割り事件ていうので一世を風靡した感じだった。
一同 (笑)
高見 現場だと照明さんとしてはやっぱり、松任谷さんのコンサートをC.A.T.がほぼ初めてメインで手伝ったのが武道館でツアーがはじまる「REINCARNATION」(1983年~1984年)だったと思うんだけど、それをピンフォローだけでやるっていう。
萱嶋 それはすごいなぁ。
高見 ピンフォローを吉川さんがさっき言ってた外タレの主流のスーパー・トゥルーパーっていうアークピンで、メンバー1人に対して1本ずつで、フロント柱のところにはサイドピンが松任谷さんを狙ってて、それ以外がバックピンで、たしか27本かなんかあったのよ。それが、1回目があって、1回目のときは吉川さんも僕もサイドPANI(*画像を投影できる機材)だったんだけど、2回目のときにバックピンをやらせて頂いて。通し稽古とかリハとか終わって、じゃあお客さん入るときにランプの点灯を最初からしておかないと立ち消えが心配だから、客入れから点灯しておこうという話になって。それで、じゃあ光源が見えるとかっこ悪いから布で隠そう!ていう話になって、それでじゃあ「布で隠します、布配布しまーす」って布が来てかけてって、はいじゃあこれで開場だな~って、休憩しました。それで本番はじまりますってなって、松任谷さんのライブって床が電光掲示板でカウントダウンされてて10・9・8・7・・・。って0になったら武道館の蛍光灯がバーン!と落ちて、単音のピーンて音が入ると、レーザーが出るのね。そしたら、レーザー出なかったんだよ。
一同 (笑)
高見 それで「なにやってんだよ、レーザークビだな~」とか思ってて、そしたらインカムで「高見さん、高見さん!!下、下、下!!なんとか!」て言われて「えっ?えっ?」とか思ったら、布がこう、ああ布でレーザーが止まってる!と思って布をばっと取ったらレーザーが出て「え・・・。?もしかしたら俺のせい?」みたいな
萱嶋 (笑)
高見 それでもう頭真っ白になって、そのときの本番はもう、なんかよくわかんないけどやって「俺もうC.A.T.クビだな・・・。終わりだな」とか思いながらずっとバックピンやってた記憶がある。
萱嶋 (苦笑) 
高見 かなり驚くよね。1万人くらいの人がなにもない舞台観てて、「ああ~」と思って布を取ったら、レーザーが出たんですよ!
萱嶋 夏に聞くとちょうどいいですね。
一同 (笑)
萱嶋 ゾッとします。
高見 まあでも吉川さんその時同じくバックピンやってたんで、
吉川 そう、でも私はキーボードとかコーラスとかの動かない人のピンだったので、ピンが動かないようにガチガチに固めたまま色だけ変えてた。それで私は色替えだけこうやってて、一曲だけ「DESTINY」って曲で
高見 チャチャチャ~(歌う)
吉川 全ピンW(色を入れずに)でサーチする。
影山 へ~!
萱嶋 まさか!(笑)
吉川 私なんかやっと動かせる!って気持ち良くて、卓の方までサーチ行っちゃお~(笑) みたいにやってたら、インカムで「ひろ子ちゃん立ち消えてるよ」って
一同 (笑)
吉川 何十本もサーチしてるから、自分全然出てるつもりでやってたら「はっ消えてる!」って
一同 (笑)
高見 全然かわいい・・・。
吉川 あと私は今のメルパルク、芝郵便貯金ホールでファッションショー?
高見 着物?和モノのイベントだったね
吉川 ショーみたいなのがあって、原田さんプランで、本物の竹のセットがあったりして。それでししおどしの『カーン』の音で、一発目が完全暗転で二発目でホリにバーン!とPANIを出すのを、私一発目の完全暗転で出しちゃって
一同 (笑)
萱嶋 こわい・・・。(笑)
吉川 「ハッ!やべぇ!」ってなってゆっくり消した。
一同 (笑)
萱嶋 でももう一回出てくるんですよね(笑)
吉川 もう全身の毛穴開いちゃったもん(笑)
萱嶋 これも夏に聞くと涼しい話ですね(笑)
吉川 怒られるっていうより、笑っちゃうみたいな、怒られたのかなアレ・・・。
高見 いやあの時はあんま怒った記憶がない、だからもうハハハハ・・・。みたいな
萱嶋 でも今のお二人から考えると意外な話ですよね。貴重なお話ありがとうございます!

照明業界の変化

高見 入社したときはムービングライトもなく、記憶卓っていうのもまだ確実に無かった頃だから、照明ってどっちかっていうと感覚仕事みたいな、まあ今もそうかもしれないけど、感覚肉体労働みたいな部分がすごくあったような気がするんだけど。今はもう機材とかいろんなものが進歩してきて、技術がしっかりないと成り立たないところがあると思うので、そこがまず変わったなと思うところ。あと照明業界、舞台業界自体が段々社会に認知されてきているので、保険にしても安全にしても、何にしても、ルールが細かく決まりつつあるけど、それを舞台業界としても照明業界にしてもしっかり守っていこうとしている姿勢になっているのは間違いないので、その方向はいいなと思う。ある部分社会に認められてそれが職業としてあり、それが舞台業界、照明業界にいい方向に進んでいるとは思うかな。
影山 新人って今だと講習しますけどそういうのはどうなんですかね?新人の現場への出方とか
高見 教えられたことなんて一つもないんじゃないの。
吉川 教えられたこともないし、それこそ「10年早いんだよ」みたいなのがまだ残っていたから。
高見 綱場は何となく自分自身が危ういと外注さんの先輩にしても社員の先輩にしても事故に直結するからこうやるんだみたいなことは言われたけど、全然綱元講習とか高所作業講習とかは何もなかった
吉川 一切なかった。それこそ見て盗めの時代だったね。
高見 うんうん。
吉川 だから今とかは講習とかあって恵まれてるなと思う。
影山 なるほど。ひろ子さんも変わった点教えて頂いていいですか?
吉川 やっぱり最初はみそっかすで現場出て、ステージの色替えやらせてもらって、そっからピンになって、ピンチーフになって、調光室入るようになって、チーフになって・・・。絶対みんな段階を踏んでいかないと先には行けない感じがあったんだけど。それこそ影山さんもそうだけど、プログラマーはピンもやらずに、そっちに特化させるというか、まあそれは必要に応じてなんだけど、飛び級してなるっていうのが現代だなってすごく思って。だから入ってからチーフになるまでってやっぱり10年かそこらはかかるから、いまはもう5,6年で全然チーフやるけど、下積み10年みたいな時代だったんで、今の若い人は自分の力量以上のことを常に求められ続けて大変だなって思うな。でもその分早く現場に出れたりそういうやりがいは長い下積みをしなくてもチャンスが巡ってきてると思う。
影山 ちなみに照明さんの仕込みの人数とかって減っていってるんですかね?あんまり変わってないですかね?
高見 スマートになってきたというか整理されてきた気がする。本当はもっといてもいいような気もするけど、いろんな状況があるから、なるべく減らしていかないといけないという実情があるじゃん。だからスマートに逆にムービングが増えてシュートの時間が少なくなるというのとか、そういった面では人数少なくしてやろうという考えはみんなあると思うのね、そういったところでは人海戦術よりも機材をうまく使って人間をスマートに整理していくっていう方向になってる気がする。
吉川 原田さんのときは仕込みがさぁ、「すみません。1間に7台も入んないんですけど」みたいなのがあるからさぁ
萱嶋
影山
(笑)
吉川 もう前と奥にあおって入れたりとかしてたからセゾン劇場のこけらのときなんかさ何人いただろうね照明さんね。劇場なのに。15人とかいたかもしれない
萱嶋 アリーナみたいですね(笑)
吉川 伝説のブリッジ(*人が乗り込める舞台上空の橋のようになった吊物)に10時間居たって。
萱嶋 トイレ大丈夫だったんですか(笑)
高見 ブリッジのシュート吉川さんと私でやってて、もうあの、下下段にマシンスポット吊ってあって丸茂のマシンスポットって先球の前にフォーカス調整のつまみがあるでしょ。
萱嶋 ありますあります。
高見 吉川さんがシュートやってて私が足押さえてて、吉川さんのシャツがべらーってめくれて、
吉川 裸になっちゃって(笑)
一同 (笑)
吉川 見ないで~とか言いながら(笑)
一同 (笑)
高見 ていうようなこともありました。下下段なんだもん。下下段でマシンスポットで、明かりが出ないからボーダーハンガーで吊るみたいなことやっていましたね!

今後について

高見 実は自分の中で2021年が一番忙しくなるはずだった、仕事の本数でね。再演がすごい多いので、もう仕事を頂けるのはありがたいと思いつつ。それで、2020年の今くらい、コロナが最初に広まった時期に林さんに連絡させて頂いたのですが、お元気でいらっしゃいますかみたいな。留守電だったんだけど。折り返し電話かかってきて、「高見、今は自分の仕事を見直す時間だから今までの仕事をもう一回見直していろいろ反省したほうがいいよ」って言って頂いたのです。それでやっぱコロナになったこととあとは年齢も還暦なんで自分がこれからどうやって仕事を進めていくかってのを考えて、そうすると行きつくところは1本ずつ大事にやらないといけないなっていう、それに尽きる。それに尽きるなっていう風に思ってるところ、まだコロナが終息しないからなんかこう自分が作った公演が行われないとか途中で止まるとかいうところはやっぱりモチベーションを維持するのは難しいけどひとつひとつ真摯に向き合ってやんなきゃいけないなっていうところがコロナがあることでさらに決意してるってのが正直なところかな。
萱嶋 うん。コロナになってからこういろいろ世の中がなんとなくこう仕事の感じも変わってきたりして。
高見 さらにあと何年やるか、ね、わかんないじゃん。
萱嶋 では、吉川さんお願いします。
吉川 私は年間通して今までもいい感じの仕事量だったと思うんで、うーん多少無理な時もあるけど基本的には割と1本1本集中して出来てるかなぁとは思ってて。できる限りは今までのように依頼があれば1本1本丁寧にやっていきたいとは思ってる。まぁ依頼がなくなったら引退かなって思ってますけど笑
萱嶋 今こんな仕事きたらすぐ受けるのになとかいうのあったりするんですか?やりたい仕事みたいなの。
吉川 やりたい仕事・・・。
高見 そういうのもあんまり考えなくなってきちゃってるかもしれないね。
萱嶋
影山
あー
高見 この間一路真輝さんのコンサートを頼まれて。
萱嶋 はい。
高見 40周年なのかな、一路さんが。そういうちょっとアットホームな感じのね。それを頼まれたときは、あぁなんかこういう仕事ありがたいなって。実は一路真輝さんのリサイタルってきっと20周年か25周年を私がやってて。そのときは新国立劇場の中劇場でやったんだよ。それを演出家の山田和也さんが見て『ジキル&ハイド』の照明を私に依頼してくれたことがあって、今回のコンサートではピアノと本人あとゲストが一人いるくらいの感じなんだけど。そういうコンサート頼まれたときはなんかうれしかったね。
萱嶋 そうですよね。高見さんはあの、早い段階でスケジュールが埋まってそうなイメージですよね
高見 うん、まぁ、ちょうど空いてるところにはまるっているのがやっぱり偶然っていうか
萱嶋 運命が。
高見 運命と思うじゃん。ここにスケジュールが入っていたらいけないわけだから。あ、誰にも迷惑かけないで行けるっていう。うれしいと思って、その時。(*この公演はコロナ禍の為に公演中止になりました)
萱嶋 吉川さんなにかありますか?
吉川 わたしは若いころ、武道館にいっぱい観に行ってたって言ったでしょ?だから、武道館でプランができたらもう燃え尽きてやめようとかって思ってたのね。で、渡辺美里さんで武道館行ったから、なんかすごい感慨深かった。そうそう武道館はこの音この音みたいなのがあって、夢かなっちゃったんで(笑)
一同 (笑)

入社を考えている人へ

高見 難しい仕事であるのは間違いないんだけど、さっきも言った通り、なかなか経験できないことを苦労した上だろうけど自分が経験できる。まぁそれが感動であったり、感じられることがある仕事だから、そういった感動を作るためにも伝えるためにも、自分が感じるためにも照明という職業を選んで頂いて参加して頂けたらなと思います。
吉川 C.A.T.は、かなり広範囲なジャンルの仕事があって、コンサートでアリーナツアーもあれば小劇場のお芝居もあるし大劇場のミュージカルやお芝居、企業のイベントもあったりですごく幅広い仕事をまんべんなくやっていて。だからミュージカルがやりたいっていう志をもって入ってくるもよし、漠然と照明の仕事がしたいっていう人も入ってきたらいろんな事が経験できるので、色々やっていく中で自分はこれが好きだっていうチョイスもできるし、それで今話したようにこの二人だけでもかなり個性豊かな感じで、他の人たちもいろいろ個性があってとても楽しい会社だと思う。仕事はきついですけど、ぜひC.A.T.を選んでください。よろしくお願いします。