CAT-NOTE

HISTORY

2022年10月22日

「日本照明家協会誌」に掲載したC.A.T.の広告

C.A.T.が「日本照明家協会」の賛助会員になったのが1983年です。
後に協会誌の編集に携わっていくことになります。
先にPDFでも上げましたが、12月号に初めての広告を掲載しました。
住所が成城になっており、2種類のロゴとPANI BP-4、メタハラのピンスポットULTRA-ARCを載せています。

1984年デザインそのままですが住所が渋谷山手マンションになっています。
公園通りの中程にあり、’70年代から若者のポップカルチャーを発信してきた「ジァン・ジァン」のあった山手教会のすぐ裏手でした。
翌1985年には、稲城市押立「パワーステージ」を前面に出して、ピンスポットをXPS-2004SRに差替えています。
因みに、04SRはダゥザはまだ無かったものの支点が高くバランスが取りやすいのと排気エントツのデザインがとても好きでした。
しばらくこのデザインが続くのですが、1989年突如ハジけたデザインに変更されます。CAT-GROUPの誕生です!

1990年、広告がカラー1ページになりました。 中央に大きくロゴを配置したデザインはインパクト抜群でした。
1992年版では過去の実績がこれでもかと載せられていますが、今更ながら発見した誤植は見なかったことにします...
1995年のデザインはシンプルで一番印象に残るものになりました。多くの方が真っ先に思い浮かぶデザインでしょう。
ほどなく発生した「阪神淡路大震災」の折には、薄墨カラーをベースにメッセージを送りました。
実は「シーエイティ・ライティング」「ファット・オフィイス」が連名されたのはこの1回のみです。

1995年東芝ライテックとの協力で、「PANI BPシリーズ」フルラインナップでの運用が始まりました。
12月号には「TOSHIBA」の広告にも問い合せ先としてC.A.T.が載っています。
併せて住所が「山手マンション」から「メイジハイツ」に変更されています。
メイジハイツは公園通りを登り切った渋谷公会堂の向かい側にあり
これまた’80年代からロックシーンを支えてきた「eggman」の裏手が通用口でした。
1998年、初めてHPのURLが入ります。ただ今更ですがもっと大きくても良かったかも…

1998年12月、いよいよ府中センターが始動します。
川向こうからの引越し作業には大変苦労はしましたが、大型車の進入や幹線道路へのアクセスはとても便利になりました。
但し旧道沿いの看板が出来るまでは場所の問合せがとても多かったです。

2000年、英語表記のメッセージと共にロゴに「TM=トレードマーク」が入りました。
また「シーエイティエス」も載りましたが、当時は静岡県清水市に登記されていました。
渋谷事務所は現在の「越一ビル」になっています。しかし正対したロゴは不評だったのかもしれません。
2002年、再び斜めのロゴが復活しいよいよ「CATプロデュース」が登場します。
そして2003年、これまでの平面的デザインを一新!
パースとシャドウをつけ立体的になりましたが、「TM」が付いていません。
何らかの事情があったのかも知れませんが、要チェックです!

2007年、それまでの「CI広告」から「CATプロデュース作品」を8ヶ月間、月替わりで掲載します。
そして翌3月をもって協会誌での広告の掲載を終えることとなりました。
現在では年一回発行されている「日本照明家協会手帳」に広告を掲載しています。